好きの枯渇

好きな気持ちが枯渇したときのあの惨めさには何者も勝てないんじゃないかと思う。
わたしは推しに向ける感情が何よりでかい。どんな男に女に人間に依存しているときより、アイドルを好きなときが一番精神的に安定しているし、没頭する。アイドルしか見えなくなる。彼が何を見て何を感じてどうやって生きているのか知りたいと願う。そういうことをしているとお金も時間も人間関係も推しの周りで完結するようになる。前の投稿で書いた元親友だって、最初の数年(わたしたちの蜜月と言うべき期間)は同じグループの同じアイドルを推していたし、この夏わたしは久々に推しを好きな人とLINEを交換したり会ったり飲んだり、とにかく交流を持って、逆に他の友だちと会うことがほとんどなくなった。一人暮らしをしたくて貯めていたお金が会社の補助で浮く(予定)分、卒業旅行に使うでもなく、また自己研鑽に使うでもなく、推しに注いだ。わたしの全てが推しの周りで完結している。推しを推していて辛いことも悲しいこともあるけれど、こんな満ち足りた毎日はないんじゃないかなと思う。
好きという気持ちが枯渇したときの惨めさは、こういう没頭に起因するんだと思う。
推しを好きじゃなくなる理由はいくつかあると思うけど、①他の人を好きになる、②私生活が忙しくなる、③好きという気持ちが枯渇する、の3つが複合的に関わり合って推さなくなる、気がしている。前者2つについては、わたしにとって、あんまり問題ではない。でも、しんどいのは3つめだ。好きという気持ちの枯渇。飲んでも飲んでもなくなることがないと思っていた井戸が枯れたような、いや、そんなもんではなくて、うん。急に枯渇する好きという感情。そうすると、推しから自分の気持ちが離れていることを自覚しながら、しばらくの間、自分のお金と時間と人間関係のために言い訳しながら推しを推してしまう。こんな惨めなことってない。あのとき推しに使ったお金も、過ごした楽しい時間も、一緒に叫んだ友だちも、なくなったりなんてしていなくて、わたしの手の中に何にも変わりなくあり続けているのに、わたしの気持ちだけがない。キラキラしていた時間もお金も人間関係も全て、否定しないでは、今のわたしの気持ちが肯定できない。
何年か前に「同期がわたしの言うこと聞かないし文句ばっか言うんですけどどうしたらいいですかねー」と大人に軽薄な相談したことがある。そのとき大人は「何をしたいか言わせてしまえば自分でその仕事を勝手にやるよ、自分で言ったことをなかなか人は覆せないから」と言っていて、そんなもんか〜とわたしはそのとき聞き流したんだけども、そんなことを思い出す。
わたしはわたしが口にした推しへの愛やらわたしが支払ったお金やら時間やらを肯定するために覆さないために推しを推しているふりをしばらくしてしまうのだ。そういうことをしていると、だいたい、①と②のどちらか、もしくは両方がわたしを襲う。わたしはこれ幸いとその舟に飛び乗る。
そうして、ベッドに積まれた大量のCD、雑誌、楽しかったライブのグッズをぼんやりと眺める。わたしは何をしていたんだろう。この時間はなんだったんだろう。もっとやるべきことがあったんじゃないか。アイドルを好きなうちはそれ自体に意味があったはずなのに、何よりも重要でわたしにとって必要な体験をしたはずなのに、急に色あせて、なんの意味もないものだったように思える。ただの浪費だったように思える。わたしがアイドルを好きで、手元にある時間とお金とを全てそれに使っていた間に、同期は海外でインターンをしたり、資格試験の勉強をしたり、団体を立ち上げてりしている。わたしは何をしていたんだろう。一度だけジャニオタ自体を降りようとしたことがある。ジャニーズのグッズをまとめて引き取ってくれるところにダンボールいっぱいの青春を送って、「1400円」という査定結果が返ってきた。
そういう結果があるとわかっているから、好きという気持ちが枯渇したってわたしはしばらくそんなはずはないと足掻いて、推しのせいにしてみたりして、忙しさを作ってみたりする。その移行期間ほど惨めなものはないのだ。
だから、好きな間は、好きという気持ちが潤沢に無限に湧き出てくるような気がしている間は、推しを推してるこのキラキラした気持ち、時間を大切にしたいし、それはわたしにとって意味のあることなのだ。そう言い聞かせて、またクレジットカードを切った。卒論を書き終わったらバイトをたくさんしようと思う。推しに会いたい。


2020.1.1 スズキアイコ