飲み会に対する感情をどう定義していいかわからない

わたしは元来外向的な人間だ。わたしを知る人が聞いたら驚くと思うけれどほんとうにそうなのだ。

ひとと話すのは楽しい。わたしの考えていることを共有できるとうれしい。ひとが楽しそうにわらうとしあわせなきもちになる。 

そんなふうに平凡に外向的な人間であるにもかかわらず、わたしはひととコミュニケーションをとる能力が低い。いちじるしく低い。  


今日はゼミの飲み会だった。最後に先輩たちと会う日だった。わたしはいまだに顔と名前の一致しない先輩たちのために10時間強を費やして色紙をつくり、会場とプレゼントの手配をした。飲み会がはじまった。あまり明るい卓にいると邪魔になるからとそれなりに静かそうな卓に座った。うわっつらを撫でた会話をする。たまに笑いが起きるとうれしい。その気持ちは人並みにあるのに、ほかの人たちがそうであるようには、うまくコミュニケーションがとれない。どうしたらいいのかわからない。間を埋めるように飲み物の注文を聞き、話題の先っぽだけを提案して曖昧にわらっていた。得意ではないビールを3杯飲んで、プレゼント贈呈にうつるように合図する。自分の役割を果たしているときは安心する。わたしはうまくコミュニケーションがとれないけれど、この場で必要とされているから。  


わたしはひとと話すのは好きだ。ひとといたい。わたしだってひとりはいやだ。 だけれど、コミュニケーションがとれない人間は飲み会にいると「ハズレ」の卓を生み出してしまう。それがつらくて、かなしい。 わたしは決して内向的な人間ではない。わたしの気持ちは外を向いているのに、能力がそれに追いついていかない。  

二次会行く人!という呼び声に答えなかったのはわたしを含めて3人だけだった。エントリーシート書かなきゃいけないんだよね、と帰り道で彼は言った。バイトの追いコンに顔出さなきゃで、とわたしは言った。 アルバイト先の4年生の追い出しコンパも今日だった。わたしはゼミの追いコン幹事だから、と一次会も二次会(オール)も断った。現在22:32。間に合う。だけどわたしは家に帰る。なぜならわたしはアルバイト先の人たちとカラオケオールをする能力がないからだ。  


わたしは飲み会が好きだ。あの猥雑な雰囲気も、ほどよい酩酊も、わらう人たちの顔も。だけれどわたしは飲み会が同時に苦手で、なぜならわたしは飲み会でうまくやる能力がないからだ。  

わたしは飲み会に片思いをしている。この感情をどう定義していいか、来年の卒業式までにはわかるのだろうか。


2019.3.25