大学時代

終わりゆくものだなと思う。

いつもわたしの大学の友人たちに会うときは暗い居酒屋か安いバーかだ。550円のスクリュードライバーを飲みながらいつだかの黒歴史を思い出させる外国の煙草を視界の端に置いて、もう二度とこの人たちには会わないかもしれないと思う。 

彼らとわたしはすごく細くていまにも途切れそうな糸で繋がっている。わたしは彼らの思想に決して賛成できないし、話の3分の1は黙って聞いている。せめて賛同しないこと笑わないことはわたしの信条のために、しなければならないと思うからだ。

だからわたしは彼らと会うのはこれ限りかもしれないと毎度思う。

彼らとわたしの世界はおそらく同一ではない。いままで彼らのような人たちに出会ってもわたしはその人たちと人生の一部を共有することはなかった。これからもそうなのではないかと思う。

 はじめ、わたしは彼らの世界の中にはすこしも存在していなかった。わたしは孤独で、それに耐え得る人間でもなくて、だから彼らの中に無理やり自分をねじこんだ。それがわたしと彼らの人生にとっていいことだったのかはわからない。もしかしたら悪いことかもしれない。わたしは、もしかしたら彼らにその思想はちがう、と大きな声で言わなければならなかったのかもしれないと思う。 きっといつかそんな日が来るかもしれない。でもそう言ったからといって彼らの世界は変わらないとわたしはおもう。きっとわたしの世界と彼らの世界の接点が、消えるだけだ。そしてその日は必ず来るとわたしはおもう。

彼らとの時間は有限で、もしかしたらこれが最後かもしれない。わたしと彼らの人生はきっと交わるべきものではなかったのに、なぜだか彼らはいま、わたしの進路をともによろこび、彼らの体験を共有し、なぜだか同じ空間で酒を飲んでいる。おそらくそれは、わたしがあの日無理やり曲げた運命の残骸で、あの必死さを思い出すと消え入りたくなるけれど、大切にしたいという気持ちもほんのすこし生まれる。

  きっと青春としていつか思い出すのは、高校のころ舞台から降りてみんなで泣いた定期演奏会ではなくて、暗い照明の中で見た白い煙と「じゃあ先帰るね」とつまらなさそうに席を立った友人、そして下卑たこの笑い声なのだと思う。この頃に帰りたいか否かなどは問題ではなく、ただ「いま思えばあり得ない経験をした」と、この日々を思い返す。なぜならこの日々は終わりゆくもので、そして失われたあとに取り返すことは、決して、できないからだ。   


2019.3.24