元親友

元親友とのことを話したら友だちに元カレかよと言われた。あれは恋愛じゃなかったとは思うんだけど、じゃあ元親友に向けていた感情より大きな感情を他の人間に抱いたことがあるかと問われればたぶんない。アイドルは別だけど。

でもそれは決してあたたかい感情じゃなかった。たぶんずっとずっとわたしは元親友が嫌いだったし元親友もそうだった。

それでもわたしには元親友しかいないと思っていたし、元親友もそんなようなことを言っていた。でも元親友は本当にはそうではなくて、だから最初から破綻していたんだと思う。


わたしと元親友の馴れ初め(笑)は、わたしの当時大好きだったともだちと元親友が同じ部活だったために、三人で帰るようになったことだった。でもわたしはその大好きだったともだちとの時間を邪魔されたことが悔しくて、最初はわかりやすく元親友のことが嫌いだった。それがいつからか、わたしとともだち、ともだちと元親友、というパッケージングより、わたしと元親友というパッケージングの方がしっくりくるようになって、ずっと一緒にいた。

わたしたちはずっと一緒にいた。何度もお互いの家に泊まりに行ったし、平日はもちろん、土日もお互いの家に近いターミナル駅で待ち合わせてブックオフでお互い好きなアイドルの雑誌を買いあさったり、サイゼリヤで喋り明かしたり、ファーストキッチンで学校の先生に立ち寄りがバレたりした(怒られた)。

けれどその間だって、いま思えば、わたしたちの関係は破綻していた。

わたしは自意識がいまよりものすごくて、元親友のことを馬鹿にしていた。というかあの頃わたしは身の回りの人間をだいたい馬鹿にしていたんだけど。元親友だってきっとそんなことはわかっていた。元親友もわたしを馬鹿にしていた。わたしがそのような人を見下す人間であること、勉強しか取り柄のない人間であること、たとえばクラスにともだちが少ないこと。それがわたしには耐え難かったし、たぶん元親友にとってもそうだった。ずっとずっとわたしは元親友のことが嫌いだった。それなのに元親友に執着していた。この人しかわたしを理解している人はいないと思っていたし、わたしも誰よりこの人を理解できていると思っていた。元親友のおおらかさに、あるいは愚直さに、嫉妬していた。


そうやってほとんど破綻している関係を十年近く重ねてわたしたちは別の大学に進学した。わたしは大学でうまく立ち回れず、最初の一年はそれが辛くて仕方がなかった。元親友はもともだちをつくったりしてうまくやっていた。でも、不思議なことだけれど、わたしたちはそれでも月に一度くらいは会って、あるいは週に一回会って、お互いにはお互いしかいないことを確認し合っていた。その場に元親友の彼氏が来ることもあったし、それが変わったときにはその愚痴を聞いたりもした。

でも大学にはいってからのわたしたちの関係はおそらくもう壊れていた。

わたしたちはもう自我を持ち始めていた。

最後のときは、大学二年の夏休みの終わり、ふたりででかけた旅行先でのことだった。その旅行はその旅行でお互いに思うことがあったと思う。忘れてしまったけれど、わたしは元親友に貸した一万円くらいのお金が返ってきてないことがずっと気にかかっていた気がするし、元親友は元親友でそのころ付き合い始めた男のことをわたしが馬鹿にしていると思って腹を立てていた、らしい(あとから聞いた)。帰りの飛行機に乗る直前だっただろうか、に喧嘩をして、羽田かなんかでうっすらとした仲直りをして、でもこれじゃダメだろうといつもどおり長文のLINEを送った。いつもそれに長文の返信がきて、それを何ターンか繰り返して、「仲直り」になった。そんなことの繰り返しだった。

それなのに元親友から「いまあなたにそれだけの脳のキャパシティを割く余裕がない」と言われた。

つまりは終わりだった。

わたしはそのときまで本当には知らなかったのだけれど、元親友とわたしとは別の人間なのだった。それがわからないでいた。わたしは元親友がわたしでないことに腹を立てていた。ずっと。ずっと怒っていた。


それからわたしと元親友とが二人で会ったことは、そういえば一度もないかもしれない。最初にでてきたわたしの大好きだったともだちと三人で年に三回会う。全員の誕生日を義務みたいに祝う。その習慣が就職後も続くのかはわからない。どちらにせよわたしと元親友とは終わってしまった。わたしはいまの元親友がTwitterでいいねを押す投稿がだいたい気持ち悪いなと思ってしまうし(恋愛系か家族いい話系が多い)、たぶん元親友も元親友で何かしらのことを思っているのだと思う。


だから、あの頃のことを、元親友のことを思い出すときには大きな感情に飲み込まれそうになる。わたしは元親友のことが大好きで、執着して、粘着して、馬鹿にして、大っ嫌いだった。



2019/11/30

スズキアイコ

思い出せないと思い出す


この景色を見ることはたぶんもうないんだろうなと彼らと会うたびに考える。この人数がこうやって集まって、笑って、うっすら衝突して、それもなかったみたいな冗談を言って。


いわゆる卒業旅行としてある地方都市を訪れた。大学の同期十人はもうこの四年ずっと付かず離れずの距離を保ち続けてきた相手で、でも、きっとこれから先ずっと付き合っていける人たちではない。いつか彼らはわたしを捨てるだろうし、わたしの方もいつか彼らを焼いてしまう。彼らのうちのひとりの進路はどうなのって思ってしまうもので、いやそんなこと言う資格はわたしにはないんだけれど、誰にもないんだけれど、でもそういう人と決別することでわたしはわたしを保って生きてきた。今回の旅行でもそこに関する認識の齟齬で車内にしばしの沈黙が流れたりした。大学四年にもなると、どうしたって将来の話が俎上に乗る。わたしと同じ方面に進むであろう友人もいるけれど、半数以上はわたしがきっと関わらないだろう職種に就くし、彼らのうちのいくらかはいまの交際相手との結婚も視野にいれていると言う。結婚という制度を積極的に肯定したくないとか、そんなことは言わなかった。

わたしたちは一緒にいて一番楽しい相手ではないとお互いに思っていて、めんどくせえなとか、なんでこんなやり方するんだろうなとか、お互いに思っている。お互いにわかりあえないことをわかっている。


海沿いの道を自転車で走っているとき、みんなが乗っているマウンテンバイクをママチャリで追いかけていたとき、ああもうわたしは一生こんな体験はしないだろうなと思った。そしてだからきっとこのときを思い出すんだろうなと。何を話したかも、何をしたのか、もしかしたら誰がいたかすら思い出せないかもしれない。でも、思い出せないということを思い出す。


2019.11.13

ココアじゃなかった


何もしたくない。できない。お腹すいてない。眠くない。やらなきゃいけないことがたぶんある。ないかも。とダラダラして1時間くらい経ったときに、唐突に思った。

「わたしいま、ココアが飲みたい!!!!!!」

欲望を言葉にできたのは久々だった。無気力でToDoリストをただこなす機械のわたしが、Want To Doを得た。わたしは母親に嫌な顔をされながら近くのコンビニまで歩いた。夜道を歩くことはうちではほとんど禁止されていて、わたしが夜21時以降に家の周辺を歩いたのは、たぶん、前回母親と大喧嘩したときぶりだと思う。

コンビニに向かう道中、前に読んだ漫画のレシピがおいしそうだったなと思い出して、板チョコを3枚と調整豆乳を1リットル買った。ついでに柿の種とポッキーも買った。

わたしはいい気分だった。帰り道は誰もいない。SMAP世界に一つだけの花を歌いながら歩いた。わたしにはいま、やりたいことがある。天にものぼるような気持ちだった。


帰って、チョコレートを湯煎して、その漫画のレシピをそのまんま真似して30分くらいかけてココアを作った。それを持って自室に戻って書きかけで書けない気がしていた文章を書いた。帰り道に、その文章のゆく先を見出せたことも、わたしの機嫌の向上に影響していたと思う。

友だちとスカイプを繋いで、はたと気づいた。これは、ココアじゃなくてホットチョコレートだ。わたし、ココアが飲みたいと思ってたんじゃなかったっけ。舌にのせたそれはひたすらに甘くて、わたしが飲みたかったのはココアじゃなくてホットチョコレートだったんだと思った。気分がよかった。


2019.10.15

借りっぱなしのしあわせ

借りっぱなしのしあわせ


小さい頃、誘拐される夢をよくみた。

そういう時、私はいつも非力で、どうしようもない絶望を味わうのだけれど、最後には、いつもヒーローが助けにきた。そのヒーローは日によってかわって、好きな男の子だったり、親友だったり、テレビドラマの主人公だったりした。けれど、それが誰なのかは大した問題ではなかった。

私にとって大切だったのは、ヒーローが、私を愛してることだけだった。


小さい頃、入院する夢をよくみた。

白い病院のベッドに横たわって、何もない部屋の窓の外を眺める、自分を脳裏に描いた。

その私はいつも泣きそうで、頼りなかった。

寂しく、不安な私のもとに、ある日、誰かがやってくる。

その誰かは、となりの病室の男の子だったり、クラスメイトだったり、小説の住人だったりした。

けれど、私にとって大切だったのは、それが誰だったかではなくて、その誰かが私を庇護欲を孕んだ目で見つめることだった。


小さい頃、無人島においてけぼりにされる夢をよくみた。

その時、私は必ず一人でなくて、友人や、クラスの人気者や、少女漫画の男の子が私の手を握っていた。

私は彼らの手を強く握ることで安心したり、絶望に打ちひしがれたときに肩を叩く手のやさしさに恋をしたりした。

けれど、私が最も欲しかったのは、特異な状況に置かれた可哀想な私だった。


そんなことに気がついたのは、それから両手の指ほど春を重ねた、16のときだった。

ふと思い出した痛々しい日々の欠片は、あの頃より膨らんだ胸の柔らかい部位を刺した。

夢見がちな少女が踊るように手を伸ばした桜の枝には、とうに手が届くようになっている。幾夜も誘拐された暗闇はもはや、電灯が増設されて終日昼間のようだ。

自分の足で行きたいところに行けるようになり、電車を乗り継げば、何千キロも進めるということを知ってしまった。

学校帰りに空を見上げても、魔女はおりたたない。授業をサボって屋上で昼寝することも、急な転校生が愛を囁くこともない。


今は、あの頃の私が恥ずかしい。でも、なんだか羨ましい。

きっとそれは、私が色んなことを知ったつもりで、まだ何も知らないからだと思った。


近頃、わたしは、夢をみない。

きっとそれは、私の毎日が、あの頃ほどしあわせではないからだと思った。

あの頃のわたしは、世界で一番、しあわせだった。


かなしい人になって、いつか夢をみたことすら忘れる日が、くる。

きっとそれは、わたしが誰かにしあわせをあげる日だ。

だからきっと、わたしがかなしい人になるのは、悲しいことじゃなくて、当然のことなんだろうと思った。

借りっぱなしのしあわせは、いつか返さなきゃならないので。



2018.5.30

モスバーガー

3ヶ月くらい前に始めた個人経営の塾のバイトで、たまに食べ物を恵まれることがある。基本的に食事代とかいって余分に給料をもらっているし、実家に帰ればいくらでも食べ物はあるのだけれど、彼らはわたしに食べ物を恵む。駅の少し手前の暗がりで、わたしはモスバーガーを食べた。口が汚れて、暗いからうまく食べられなかった。


具体的に死にたいかどうかは別として、<死にたい>としか形容できない感情がある。もう死にたい。なかったことにしたい。ぜんぶ無理だ。苦しい。そんな感じの感情に不思議な方程式が加わって、たぶん、わたしは<死にたい>と言っている。言ってはいないか。最近ひとに<死にたい>と言うのは控えている。たぶん。けれど、わたしはそのぶん、口の中でそのセリフを繰り返している。死にたい、死にたい、死んでしまえ。


わたしはなんでこんななんだろうな。なんで世界はこんななんだろうな。もっとましな選択肢なんていくらでもあったのに、いちばん選んではならない選択肢を選び続けて生きてきた気がする。


頭がいたい。きっとこんな感情は気圧のせいだけれど、気圧のせいでわたしの本性がつまびらかにされているだけだ。ふだんいまよりは平気なことがむしろ不思議だ。


どこか遠くに行きたい。

おととしのわたしはそれを繰り返して群馬まで行く電車でああこのまま降りたくないと思いながらいつも東京駅で下車していた。わたしはきっとこれからも東京駅で下車する。


<死にたい>。またその言葉を繰り返す。


2019.10.3

ラーメンを食べるという自傷行為


ラーメンを食べるということはわたしにとって一種の自傷行為だ。

別にアレルギーがあるわけでもないし、極端なダイエットをしているわけではない。わたしはBMI18〜22あたりの「普通体型」を常にウロウロして「痩せたい〜」と言ってる女子大生のひとりだが、少なくとも今は、本格的な食事制限を伴うダイエットはしていない。以前は毎日やってた嘔吐もそんなにやってない。でも、わたしの中でラーメンを食べるということは自傷行為なのだった。


今日は朝起きた時点で、というよりAM3時頃に寝付いた時点で、あまり調子がよくないな、と気づいていた。というより体調がよかったことなどここ5年の中で数えるほどもないのだけれど、この3週間はその中でも最低だった。そして、今日はその地続きの今日だった。

だめだと気づいた時点で、ダメなことに慣れきってるわたしは、今日やったことの実績としてゴミ出しはしておこう、とパジャマでメガネもかけずにゴミを出しに行った。おそらくAM10時前。親に言いつけられていた電話をする気になれなくてソファでダラダラ漫画を読んで、泣いて、水を飲んで、電話をした。それが終わったらくるはずのメールが来ていなくてまた何もかもうまくいかない心持ちになった。とりあえず化粧をしてメールがくるのを待ったけれど、結局メールは来なかった。やらなければならない作業をそれなりに積んでいるので、隣の駅まで出て作業してついでに病院で薬をもらってこようと決める。ここ数日咳が止まらなくて夜の寝つきがさらに悪くなっているからだ。

そろそろご飯を食べなきゃいけないな、と商店街をふらふらと歩いた。この駅には格安で居座れるお気に入りのカフェがあるので、その店に入ろうと、北口を出て右に進んだ。そこでふと気づく。ラーメンが食べたい。わたしはカフェを通り過ぎてラーメン屋に向かった。


ラーメンを食べることのどういうところが自傷行為なのか、よくわからない。強いて言うなら、特においしいと思わない食事に800円を払って、愛想の悪い店員に礼を言い、居辛さを感じながら店をあとにする、その全てが痛いのかもしれない。ラーメン屋は混雑していた。わたしはラーメン屋に行くのをやめてはなまるうどんに行った。少し安心していた。


ラーメンに関する記憶は、家族についての記憶ともほとんど重なる。わたしの父はラーメンが好きで、幼い頃外食といえばラーメンかサイゼリヤかで喧嘩をしたものだった。いくらか時が経って、わたしが父を「嫌い」になったあと、母はよくラーメンの悪口を言った。わたしもそれに同調した。

母は、わたしと妹を叱るとき、よく「そういうところ、父さんそっくり」と言った。わたしも妹もそれを言われると泣いて嫌がり、損なった母の機嫌を必死に取ろうとするのだった。


結局、はなまるうどんでぶっかけの中を食べて、もともと行くつもりだったカフェでこの文章を書いている。隣の年老いた男性は、産経新聞を読んでいる。やらなければならない作業は、この文章を書いても減るわけではない。


2019/9/25

新・タイタニック号の船員として

潰えるタイタニック号に乗っている気分だ。しかもわたしは船員。何かができるはずなのに何もできない。巨悪があるように思うのに発信源はどこにもない。

世界はくそだ。

沈みゆく船のうえで正義に震えたり美しいものを愛したりしても何にもならないのかもしれないと思う。わたしが怒っても喜んでも世界はくそであり続ける。なんなんだ。ほんとうに、どうしてくれよう。


病理的な通常。「ディアスポラ」のディアスポラコーホート効果。

学んで、重ねて、考えて、それで、もしもわたしが世界を少し理解できても、わたしはこの船の上、手をこまねいて見ていることしかできないんだろう。それだけはわかってる。もう何も考えなくていいですか。考えることをやめてもいいですか。喉の奥でつっかかった言葉が、音になるのはいつだろう。きっとそれに答えは返ってこない。考えることを止めるのは、わたしの勝手なのだから。


2019.8.26