これ僕が弁償するんですか?

前にバイトをしていた飲食店で、1ヶ月で辞めてしまった男の子がいた。そのバイト先は割とホワイトで、あまり1ヶ月で辞めてしまうような子はいなかったし、彼は色々やらかしてくれたのでよく覚えている。


先に少しだけ情報を整理しておくと、彼は大学一年生で、たぶんはじめてのバイトだった。そしてわたしのバイト先はある駅の中にある飲食店だった。ちょっと前まで人が多すぎるくらいだったのに、ここのところ人手が足りなくて(特に忙しくなる土日のランチタイム)新人さんを大量に雇っている状態だった。また、カフェにありがちな話だけど男の子はいつもひとりふたりいるかいないかだった(従業員はぜんぶで30人くらいで、社員は店長だけ)。


彼を雇ったとき、店長に「今度の子はどんな子なんですか?」と聞いたら「今度の子は大丈夫だと思う! めちゃくちゃ真面目そうな子だよ」と言った。その時点でわたしはちょっとイヤな予感がしていた。

うちのお店でバイトがやってはならないことの最上位「入店証をなくす」というのを当時三人いた男の子のうち二人にやられてから、店長は「わたしは男を見る目がない」と口癖のように言っていて、「真面目な子」を選ぶようになった。でも店長の言う真面目な子は大体において愚鈍で暗いだけの子で、べつに真面目なわけじゃないのだ。たしかにチャラくはないけど、仕事はできないしそれを悪びれない。たぶん飲食店向いてないんだろうなって声音の子たち。「いらっしゃいませ」がすでに暗いし、テキパキ動くとか気を利かせるとか、そういうことをしてこなかった子たち。

そして、やっぱりその子もそうだった。


彼が入ってきてから1ヶ月のうちにやった「やらかし」のうち、4つを並べて記述してみる。

まず、うちのお店にはシフトの5分前にはお店にいなければならないというルールがあって、だいたいのバイトは10分前には到着しているのだが、彼はシフト開始とほぼ同時に到着する。このルールはたしかに給料の発生してない時間を拘束しているという意味でアレなのだが、そのアレを飲み込むことで時間通りに上がることが確約されているのでバイトの多くは疑問に思っていなかった。最初はそれを飲み込めない子がいるのも確かだが、2回くらい出勤すれば他の人の様子を見て5分前には来るようになる。けれど、彼は注意されてもそれが直せなかった。その時点で、けっこう、彼は疎まれていた。

次に、彼は「土曜のランチに入ります」という約束で入ってきたのだが(その時間が特に人手不足だったため)、その時間は一週間の中で最も忙しい時間帯だ。店長のいう真面目な子が愚鈍な子である場合が多いとは先に書いた通りだが、彼はその中でもけっこうレベルの高い愚鈍さで、彼がいる間の土曜のランチは壊滅状態だった。その件で、詳しくは忘れたけど店長に呼び出されて注意されていた(そういうことはうちのお店ではほとんどなかった)。

そして、これが彼に関する評判を決定的に下げたものなのだが、彼はオキャクサマにアイスコーヒーをかけてしまった。わたしたちは最初の研修でオキャクサマに飲み物をかけてしまったり服を汚してしまったりしたときは、自分が悪くなくても「申し訳ございません」と言ってバイトリーダーを呼ぶことになっているのだが、そのときに彼が言ったひとことは「これ僕が弁償するんですか?」だった。あいつ、やばい、という話が瞬く間に店の中に広まった。

ここまでくると彼に評判もくそもなく、「ああ、あのやばい新人さん」という共通認識が生まれるのだが、彼はその一週間後くらいに、入店証を悪用して電車に不正乗車したことがバレた。故意ではない、ということになっているのでお咎めなしだが、故意が認められたらクビどころか犯罪だ。


結局、彼はそのあと二回ほど「大学の都合で出られなくなったので」とシフトの変更を願い出て(代わりは見つからなかったのでたぶん店長が出勤してサビ残を増やした)、その2週間後くらいに「僕には向いていなかったので皆様にご迷惑をおかけする前に」みたいなことをLINEグループで言って辞めた(わたしもそのLINEグループを抜けてしまったので正確なことは思い出せない)。


彼は、圧倒的に仕事ができなかったし、たぶん飲食店に向いていなかったし、しかも入店証を悪用してるんだから「真面目」だとも言えないと思う。

でも、うちのお店から押し出された彼は、どこに行ったんだろう? 彼はどこでなら働けるんだろう? 彼の性根がこれから「真面目」になることはあるんだろうか?


わたしたちはときに人に対して「まじ仕事できない、いない方がマシ」と言う。わたしもそういうことを人に対して思ったり言ったりすることが結構多い。でも、その仕事ができない人だって、生きてかなきゃならないわけで、生きてこうとすると労働が必要なわけで、そしたら彼はどこかの職場で疎まれ続けなきゃならない。彼は望んで仕事ができない身に生まれついたわけでも、望んで労働しなきゃ生きていけない世界に爆誕したわけでもないだろうに。


昨日、相模原の事件のニュースを見てなんだか鬱々とした気分になった。生きてていい人と生きていては駄目な人が分断される社会。それは生産性の話であって、この資本主義社会においては、仕事ができる人と仕事ができない人とが分断される社会だろう。

その社会のひずみがこうやって相模原で凶刃となってあらわれたり、京アニを燃やしたりしたんだろうか。


仕事ができない人は、どこに行くんだろう。うちのお店をやめて、彼はどこでバイトしたんだろう。彼は大学を卒業したら何になるんだろう。どうやって労働してどうやって生活してゆくんだろう。


彼が飲食店に向いてなかっただけで、総合職としてバリバリ働いてるところとか、スポーツで大成功しているところとかを想像しようとしたけれどうまくできなかった。

そういえばわたしは彼の名前も思い出せない。


2020.1.8.

スズキアイコ

好きの枯渇

好きな気持ちが枯渇したときのあの惨めさには何者も勝てないんじゃないかと思う。
わたしは推しに向ける感情が何よりでかい。どんな男に女に人間に依存しているときより、アイドルを好きなときが一番精神的に安定しているし、没頭する。アイドルしか見えなくなる。彼が何を見て何を感じてどうやって生きているのか知りたいと願う。そういうことをしているとお金も時間も人間関係も推しの周りで完結するようになる。前の投稿で書いた元親友だって、最初の数年(わたしたちの蜜月と言うべき期間)は同じグループの同じアイドルを推していたし、この夏わたしは久々に推しを好きな人とLINEを交換したり会ったり飲んだり、とにかく交流を持って、逆に他の友だちと会うことがほとんどなくなった。一人暮らしをしたくて貯めていたお金が会社の補助で浮く(予定)分、卒業旅行に使うでもなく、また自己研鑽に使うでもなく、推しに注いだ。わたしの全てが推しの周りで完結している。推しを推していて辛いことも悲しいこともあるけれど、こんな満ち足りた毎日はないんじゃないかなと思う。
好きという気持ちが枯渇したときの惨めさは、こういう没頭に起因するんだと思う。
推しを好きじゃなくなる理由はいくつかあると思うけど、①他の人を好きになる、②私生活が忙しくなる、③好きという気持ちが枯渇する、の3つが複合的に関わり合って推さなくなる、気がしている。前者2つについては、わたしにとって、あんまり問題ではない。でも、しんどいのは3つめだ。好きという気持ちの枯渇。飲んでも飲んでもなくなることがないと思っていた井戸が枯れたような、いや、そんなもんではなくて、うん。急に枯渇する好きという感情。そうすると、推しから自分の気持ちが離れていることを自覚しながら、しばらくの間、自分のお金と時間と人間関係のために言い訳しながら推しを推してしまう。こんな惨めなことってない。あのとき推しに使ったお金も、過ごした楽しい時間も、一緒に叫んだ友だちも、なくなったりなんてしていなくて、わたしの手の中に何にも変わりなくあり続けているのに、わたしの気持ちだけがない。キラキラしていた時間もお金も人間関係も全て、否定しないでは、今のわたしの気持ちが肯定できない。
何年か前に「同期がわたしの言うこと聞かないし文句ばっか言うんですけどどうしたらいいですかねー」と大人に軽薄な相談したことがある。そのとき大人は「何をしたいか言わせてしまえば自分でその仕事を勝手にやるよ、自分で言ったことをなかなか人は覆せないから」と言っていて、そんなもんか〜とわたしはそのとき聞き流したんだけども、そんなことを思い出す。
わたしはわたしが口にした推しへの愛やらわたしが支払ったお金やら時間やらを肯定するために覆さないために推しを推しているふりをしばらくしてしまうのだ。そういうことをしていると、だいたい、①と②のどちらか、もしくは両方がわたしを襲う。わたしはこれ幸いとその舟に飛び乗る。
そうして、ベッドに積まれた大量のCD、雑誌、楽しかったライブのグッズをぼんやりと眺める。わたしは何をしていたんだろう。この時間はなんだったんだろう。もっとやるべきことがあったんじゃないか。アイドルを好きなうちはそれ自体に意味があったはずなのに、何よりも重要でわたしにとって必要な体験をしたはずなのに、急に色あせて、なんの意味もないものだったように思える。ただの浪費だったように思える。わたしがアイドルを好きで、手元にある時間とお金とを全てそれに使っていた間に、同期は海外でインターンをしたり、資格試験の勉強をしたり、団体を立ち上げてりしている。わたしは何をしていたんだろう。一度だけジャニオタ自体を降りようとしたことがある。ジャニーズのグッズをまとめて引き取ってくれるところにダンボールいっぱいの青春を送って、「1400円」という査定結果が返ってきた。
そういう結果があるとわかっているから、好きという気持ちが枯渇したってわたしはしばらくそんなはずはないと足掻いて、推しのせいにしてみたりして、忙しさを作ってみたりする。その移行期間ほど惨めなものはないのだ。
だから、好きな間は、好きという気持ちが潤沢に無限に湧き出てくるような気がしている間は、推しを推してるこのキラキラした気持ち、時間を大切にしたいし、それはわたしにとって意味のあることなのだ。そう言い聞かせて、またクレジットカードを切った。卒論を書き終わったらバイトをたくさんしようと思う。推しに会いたい。


2020.1.1 スズキアイコ

元親友

元親友とのことを話したら友だちに元カレかよと言われた。あれは恋愛じゃなかったとは思うんだけど、じゃあ元親友に向けていた感情より大きな感情を他の人間に抱いたことがあるかと問われればたぶんない。アイドルは別だけど。

でもそれは決してあたたかい感情じゃなかった。たぶんずっとずっとわたしは元親友が嫌いだったし元親友もそうだった。

それでもわたしには元親友しかいないと思っていたし、元親友もそんなようなことを言っていた。でも元親友は本当にはそうではなくて、だから最初から破綻していたんだと思う。


わたしと元親友の馴れ初め(笑)は、わたしの当時大好きだったともだちと元親友が同じ部活だったために、三人で帰るようになったことだった。でもわたしはその大好きだったともだちとの時間を邪魔されたことが悔しくて、最初はわかりやすく元親友のことが嫌いだった。それがいつからか、わたしとともだち、ともだちと元親友、というパッケージングより、わたしと元親友というパッケージングの方がしっくりくるようになって、ずっと一緒にいた。

わたしたちはずっと一緒にいた。何度もお互いの家に泊まりに行ったし、平日はもちろん、土日もお互いの家に近いターミナル駅で待ち合わせてブックオフでお互い好きなアイドルの雑誌を買いあさったり、サイゼリヤで喋り明かしたり、ファーストキッチンで学校の先生に立ち寄りがバレたりした(怒られた)。

けれどその間だって、いま思えば、わたしたちの関係は破綻していた。

わたしは自意識がいまよりものすごくて、元親友のことを馬鹿にしていた。というかあの頃わたしは身の回りの人間をだいたい馬鹿にしていたんだけど。元親友だってきっとそんなことはわかっていた。元親友もわたしを馬鹿にしていた。わたしがそのような人を見下す人間であること、勉強しか取り柄のない人間であること、たとえばクラスにともだちが少ないこと。それがわたしには耐え難かったし、たぶん元親友にとってもそうだった。ずっとずっとわたしは元親友のことが嫌いだった。それなのに元親友に執着していた。この人しかわたしを理解している人はいないと思っていたし、わたしも誰よりこの人を理解できていると思っていた。元親友のおおらかさに、あるいは愚直さに、嫉妬していた。


そうやってほとんど破綻している関係を十年近く重ねてわたしたちは別の大学に進学した。わたしは大学でうまく立ち回れず、最初の一年はそれが辛くて仕方がなかった。元親友はもともだちをつくったりしてうまくやっていた。でも、不思議なことだけれど、わたしたちはそれでも月に一度くらいは会って、あるいは週に一回会って、お互いにはお互いしかいないことを確認し合っていた。その場に元親友の彼氏が来ることもあったし、それが変わったときにはその愚痴を聞いたりもした。

でも大学にはいってからのわたしたちの関係はおそらくもう壊れていた。

わたしたちはもう自我を持ち始めていた。

最後のときは、大学二年の夏休みの終わり、ふたりででかけた旅行先でのことだった。その旅行はその旅行でお互いに思うことがあったと思う。忘れてしまったけれど、わたしは元親友に貸した一万円くらいのお金が返ってきてないことがずっと気にかかっていた気がするし、元親友は元親友でそのころ付き合い始めた男のことをわたしが馬鹿にしていると思って腹を立てていた、らしい(あとから聞いた)。帰りの飛行機に乗る直前だっただろうか、に喧嘩をして、羽田かなんかでうっすらとした仲直りをして、でもこれじゃダメだろうといつもどおり長文のLINEを送った。いつもそれに長文の返信がきて、それを何ターンか繰り返して、「仲直り」になった。そんなことの繰り返しだった。

それなのに元親友から「いまあなたにそれだけの脳のキャパシティを割く余裕がない」と言われた。

つまりは終わりだった。

わたしはそのときまで本当には知らなかったのだけれど、元親友とわたしとは別の人間なのだった。それがわからないでいた。わたしは元親友がわたしでないことに腹を立てていた。ずっと。ずっと怒っていた。


それからわたしと元親友とが二人で会ったことは、そういえば一度もないかもしれない。最初にでてきたわたしの大好きだったともだちと三人で年に三回会う。全員の誕生日を義務みたいに祝う。その習慣が就職後も続くのかはわからない。どちらにせよわたしと元親友とは終わってしまった。わたしはいまの元親友がTwitterでいいねを押す投稿がだいたい気持ち悪いなと思ってしまうし(恋愛系か家族いい話系が多い)、たぶん元親友も元親友で何かしらのことを思っているのだと思う。


だから、あの頃のことを、元親友のことを思い出すときには大きな感情に飲み込まれそうになる。わたしは元親友のことが大好きで、執着して、粘着して、馬鹿にして、大っ嫌いだった。



2019/11/30

スズキアイコ

思い出せないと思い出す


この景色を見ることはたぶんもうないんだろうなと彼らと会うたびに考える。この人数がこうやって集まって、笑って、うっすら衝突して、それもなかったみたいな冗談を言って。


いわゆる卒業旅行としてある地方都市を訪れた。大学の同期十人はもうこの四年ずっと付かず離れずの距離を保ち続けてきた相手で、でも、きっとこれから先ずっと付き合っていける人たちではない。いつか彼らはわたしを捨てるだろうし、わたしの方もいつか彼らを焼いてしまう。彼らのうちのひとりの進路はどうなのって思ってしまうもので、いやそんなこと言う資格はわたしにはないんだけれど、誰にもないんだけれど、でもそういう人と決別することでわたしはわたしを保って生きてきた。今回の旅行でもそこに関する認識の齟齬で車内にしばしの沈黙が流れたりした。大学四年にもなると、どうしたって将来の話が俎上に乗る。わたしと同じ方面に進むであろう友人もいるけれど、半数以上はわたしがきっと関わらないだろう職種に就くし、彼らのうちのいくらかはいまの交際相手との結婚も視野にいれていると言う。結婚という制度を積極的に肯定したくないとか、そんなことは言わなかった。

わたしたちは一緒にいて一番楽しい相手ではないとお互いに思っていて、めんどくせえなとか、なんでこんなやり方するんだろうなとか、お互いに思っている。お互いにわかりあえないことをわかっている。


海沿いの道を自転車で走っているとき、みんなが乗っているマウンテンバイクをママチャリで追いかけていたとき、ああもうわたしは一生こんな体験はしないだろうなと思った。そしてだからきっとこのときを思い出すんだろうなと。何を話したかも、何をしたのか、もしかしたら誰がいたかすら思い出せないかもしれない。でも、思い出せないということを思い出す。


2019.11.13

ココアじゃなかった


何もしたくない。できない。お腹すいてない。眠くない。やらなきゃいけないことがたぶんある。ないかも。とダラダラして1時間くらい経ったときに、唐突に思った。

「わたしいま、ココアが飲みたい!!!!!!」

欲望を言葉にできたのは久々だった。無気力でToDoリストをただこなす機械のわたしが、Want To Doを得た。わたしは母親に嫌な顔をされながら近くのコンビニまで歩いた。夜道を歩くことはうちではほとんど禁止されていて、わたしが夜21時以降に家の周辺を歩いたのは、たぶん、前回母親と大喧嘩したときぶりだと思う。

コンビニに向かう道中、前に読んだ漫画のレシピがおいしそうだったなと思い出して、板チョコを3枚と調整豆乳を1リットル買った。ついでに柿の種とポッキーも買った。

わたしはいい気分だった。帰り道は誰もいない。SMAP世界に一つだけの花を歌いながら歩いた。わたしにはいま、やりたいことがある。天にものぼるような気持ちだった。


帰って、チョコレートを湯煎して、その漫画のレシピをそのまんま真似して30分くらいかけてココアを作った。それを持って自室に戻って書きかけで書けない気がしていた文章を書いた。帰り道に、その文章のゆく先を見出せたことも、わたしの機嫌の向上に影響していたと思う。

友だちとスカイプを繋いで、はたと気づいた。これは、ココアじゃなくてホットチョコレートだ。わたし、ココアが飲みたいと思ってたんじゃなかったっけ。舌にのせたそれはひたすらに甘くて、わたしが飲みたかったのはココアじゃなくてホットチョコレートだったんだと思った。気分がよかった。


2019.10.15

借りっぱなしのしあわせ

借りっぱなしのしあわせ


小さい頃、誘拐される夢をよくみた。

そういう時、私はいつも非力で、どうしようもない絶望を味わうのだけれど、最後には、いつもヒーローが助けにきた。そのヒーローは日によってかわって、好きな男の子だったり、親友だったり、テレビドラマの主人公だったりした。けれど、それが誰なのかは大した問題ではなかった。

私にとって大切だったのは、ヒーローが、私を愛してることだけだった。


小さい頃、入院する夢をよくみた。

白い病院のベッドに横たわって、何もない部屋の窓の外を眺める、自分を脳裏に描いた。

その私はいつも泣きそうで、頼りなかった。

寂しく、不安な私のもとに、ある日、誰かがやってくる。

その誰かは、となりの病室の男の子だったり、クラスメイトだったり、小説の住人だったりした。

けれど、私にとって大切だったのは、それが誰だったかではなくて、その誰かが私を庇護欲を孕んだ目で見つめることだった。


小さい頃、無人島においてけぼりにされる夢をよくみた。

その時、私は必ず一人でなくて、友人や、クラスの人気者や、少女漫画の男の子が私の手を握っていた。

私は彼らの手を強く握ることで安心したり、絶望に打ちひしがれたときに肩を叩く手のやさしさに恋をしたりした。

けれど、私が最も欲しかったのは、特異な状況に置かれた可哀想な私だった。


そんなことに気がついたのは、それから両手の指ほど春を重ねた、16のときだった。

ふと思い出した痛々しい日々の欠片は、あの頃より膨らんだ胸の柔らかい部位を刺した。

夢見がちな少女が踊るように手を伸ばした桜の枝には、とうに手が届くようになっている。幾夜も誘拐された暗闇はもはや、電灯が増設されて終日昼間のようだ。

自分の足で行きたいところに行けるようになり、電車を乗り継げば、何千キロも進めるということを知ってしまった。

学校帰りに空を見上げても、魔女はおりたたない。授業をサボって屋上で昼寝することも、急な転校生が愛を囁くこともない。


今は、あの頃の私が恥ずかしい。でも、なんだか羨ましい。

きっとそれは、私が色んなことを知ったつもりで、まだ何も知らないからだと思った。


近頃、わたしは、夢をみない。

きっとそれは、私の毎日が、あの頃ほどしあわせではないからだと思った。

あの頃のわたしは、世界で一番、しあわせだった。


かなしい人になって、いつか夢をみたことすら忘れる日が、くる。

きっとそれは、わたしが誰かにしあわせをあげる日だ。

だからきっと、わたしがかなしい人になるのは、悲しいことじゃなくて、当然のことなんだろうと思った。

借りっぱなしのしあわせは、いつか返さなきゃならないので。



2018.5.30

モスバーガー

3ヶ月くらい前に始めた個人経営の塾のバイトで、たまに食べ物を恵まれることがある。基本的に食事代とかいって余分に給料をもらっているし、実家に帰ればいくらでも食べ物はあるのだけれど、彼らはわたしに食べ物を恵む。駅の少し手前の暗がりで、わたしはモスバーガーを食べた。口が汚れて、暗いからうまく食べられなかった。


具体的に死にたいかどうかは別として、<死にたい>としか形容できない感情がある。もう死にたい。なかったことにしたい。ぜんぶ無理だ。苦しい。そんな感じの感情に不思議な方程式が加わって、たぶん、わたしは<死にたい>と言っている。言ってはいないか。最近ひとに<死にたい>と言うのは控えている。たぶん。けれど、わたしはそのぶん、口の中でそのセリフを繰り返している。死にたい、死にたい、死んでしまえ。


わたしはなんでこんななんだろうな。なんで世界はこんななんだろうな。もっとましな選択肢なんていくらでもあったのに、いちばん選んではならない選択肢を選び続けて生きてきた気がする。


頭がいたい。きっとこんな感情は気圧のせいだけれど、気圧のせいでわたしの本性がつまびらかにされているだけだ。ふだんいまよりは平気なことがむしろ不思議だ。


どこか遠くに行きたい。

おととしのわたしはそれを繰り返して群馬まで行く電車でああこのまま降りたくないと思いながらいつも東京駅で下車していた。わたしはきっとこれからも東京駅で下車する。


<死にたい>。またその言葉を繰り返す。


2019.10.3